この度の台風で被害・被災に合われた方々が一日でも早く元通りの生活が送れるようお祈り申し上げます。
大雨により各地で河川の氾濫や決壊を引き起こした台風19号。当ショップも千曲川流域の長野市にありますが、なんとか被害を免れることが出来ました。ご心配していただいた皆様、ありがとうございました。
店長の自宅は長野市のお隣の千曲市にあり、10/12の夜には警戒レベル5(命を守るための最善の行動)相当が発令されました。
警戒レベル5とは?
災害がすでに発生していることを示す警戒レベル5に相当します。何らかの災害がすでに発生している可能性が極めて高い状況となっています。命を守るための最善の行動をとってください。(引用:気象庁HP)
鳴りやまないエリアメールに子供たちも怯えながら、避難所に行くべきか自宅にとどまるべきか悩みました。すぐに避難できるように荷物をまとめ、濡れたら困るものは2階に上げ、まずは店長のみが避難所の様子を見に行くことに。
千曲市あんずホール付近交差点
自宅から1.5kmほどの場所にある避難所の一つ”あんすホール”と完成したばかりの新庁舎横にある”ことぶきアリーナ”へ続く道路(国道403号線)はすでに冠水していて通行ができない状況に。
普段ニュースで他県で起きた災害では見たことのある光景が、台風には強いとされていた長野県で、しかも実際に自分が住んでいる地域で起きた現実にしばらくフリーズしていました。
避難所に避難することは諦め、自宅へ戻ります。避難所よりも川から遠かったため、自宅の浸水は免れることが出来ましたが、子どもが通っている保育園、知り合いの飲食店、よく行くコンビニ、友人宅。多くの場所で床上浸水となってしまいました。
台風から3日が経過し、被害にあわれた地域では復旧・復興が行われています。他県からも自衛隊や消防が多数駆けつけてくださったり、ボランティアの方々が瓦礫やごみの片づけをしてくださったりと、感謝と共に胸が熱くなる思いです。
長野県は南アルプスがATフィールド(某アニメで登場する全方位シールド)のように台風から守ってくれている的に比喩されることがありましたが、安全神話はもはや過去の産物。私たちは災害大国”ニッポン”に住んでいるということを再認識させられました。台風19号での大雨は100年に一度のような発表もされていますが、それも確かではありません。所詮、過去のデータから計算した机上の空論に過ぎないのです。
今回の災害で得たの3つの教訓
1.災害時はSNS(特にTwitter)のリアルタイムな情報が必要不可欠
マスメディア(テレビ・ラジオ)も有効な情報収集手段ではありますが、自分の地域(もしくは○○市やその後の地区名)の現状が秒刻みでどうなっているのかを知ることは出来ません。その点、Twitterはリアルタイムでピンポイントの情報がどんどん流れてくるので、今何が起きていているのかを把握することが出来ます。
また、大抵の県や市町村は市のアカウントや防災のアカウントを持っているので、登録しておくことをおすすめします。
TwitterなどのSNSの情報が全て正しいとは限りませんので(Twitterは誰でも匿名で投稿できるため)、市や県のアカウントからの情報を参考に近隣住民で連携を取り合い行動していただくことが良いと思います。
2.避難は早めに。中途半端な行動はかえって危険にさらされることも
店長も今回悩んだところでした。市からの避難指示(警戒レベル4)が出ている段階でも、周りの家はまだ電気がついている(逃げていない)。もう少し様子を見よう。まだ大丈夫、まだ大丈夫。結果として家にとどまって正解でしたが、(冠水などで)逃げられない状況になってから動いても手遅れだと思い知らされました。また、避難が中途半端(遅い)場合は、避難しても避難所の収容人数がいっぱいで受け入れてもらえなかったり、道が冠水して避難所までたどり着けなかったりする可能性の十分にあります。より安全なのは”自宅”か”避難所”か?の判断を早く行い、行動することが命を守ることにつながります。
3.避難用の防災セット、リュックも防水タイプがおススメ
今回のように雨の中を避難する場合、避難所まで車が使えればいいですが、状況によっては歩いて移動する可能性もあります。せっかく用意した防災セット(非常食や簡易トイレなど)が避難所に到着するころにはびしょびしょで中身が使い物にならないなんてことも…。我が家の防災リュックも防水は盲点でした。避難用のリュックは止水ジッパーのタイプか、もしくは手持ちのリュックに防水カバーを付けて移動することで雨から中身を守ることが出来ます。
他にも、罹災証明時における写真の撮り方や、避難所に持って行った方がいいモノ、避難する際の靴の選び方などなどたくさんのポイントがあると思いますが、今回は3つをご紹介させていただきました。
被災された方々が元通りの生活に戻れるように、一個人としてできるをして今後も続けてゆきます。